こちらは、金沢裕貴の自己紹介ページです! よろしくお願いいたします!

【時間がない人用】自己紹介 💦

基本情報 📄

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スポーツ歴 🏃‍♂️

野球(小学校)→陸上競技(中学)→野球(高校)という変なスポーツ歴

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野球 ⚾️

小学校時代はサードやセカンドで、1,2番を打っていた

高校時代はセカンド(外野)→ショート→キャッチャーで、3番を打っていた

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陸上競技 🏃

走り幅跳び

4×100R 1走目

経歴概要 ⏳

幼少期 👶

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体重3380gと大きく生まれた私、金沢。 (この時、誕生日が4日違いで保育器が隣だった男の子とは、のちに高校まで進路を共にすることになる。)

この頃、松坂大輔の活躍もあって、オカンは「大輔」とつけたがったが、親父の方のおばあちゃん(通称ババ)のゴリ押しによって、「裕貴」と名付けられた。

泣き虫で、おしゃぶり離れがなかなかできなかったヘタレ。

全然寝ないやつやったらしく、よく昼夜逆転していたそう。 (今、夜型なのがよく理解できるエピソードだなと。)

ちなみに、写真がツルッツルなのは、七五三前に散髪を試みたオカン失敗に失敗を重ね、たどり着いた場所。 人は皆、”果て”と呼ぶ。

その後、妹も生まれ四人家族となった。

学生時代 ✏️

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小学校

離婚😂

小学校入学と同時に両親が離婚し、家を出て、長屋のような家に住んだのを覚えている。 (ちなみに近所の家の人はク◯リをしていた人がいたそう笑)

2年生の終わり頃から野球を始める。 ここの経験が、ヘタレの自分を大きく変化させたと思っている。

オカン一人だったのもあって、毎日友達の家に帰っていた。 その友達も同じ野球チームに所属していたこともあり、ご家族が野球の練習を毎日してくれていた。

勉強で言うと、まあそれはテキトーで、でもその頃から自信があると胸を張れたのは、国語と図工。

すごく今に通じている気がしている。

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中学

クラブチームで野球をするはずだったが、従兄弟がいたことと平日体動かす機会を作りたいこととで、陸上競技部に所属した。

新鮮なものは面白い。すぐにクラブチームをやめた。

そこで出会った先生の教えは、今まで出会った教育者の中で一番血肉となっている部分が多い。

例えば「圧倒的な量からしか質は生まれない」とか「主体変容」とか。

人生のうちの早い段階でこの人と出会えていたことはすごく幸運だと実感している。

これは実際にその人を描いたノンフィクションの漫画

https://japanlaim.com/sports/fs/1042/1042.pdf

結局、陸上競技部でキャプテンを務めたり、生徒会長をしたり、防災プロジェクトに携わりいろんなフォーラムなどで発表したり、時には新聞とかテレビなんかに出ちゃったりして、色々やっていた。

高校受験は大阪府内の公立校を志望し、無事合格したが、後日談によると、僕にその高校を受けさせるかどうか最後まで職員会議で出ていたらしい。 と言うのも、受験を舐めてろくに勉強してなかったし、その結果、前期試験では落ちていた。 後期で受かったからいいものの、あの謎の自信は大学受験でへし折られることとなる。

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高校

野球部に所属。

バイトをすると決めていたが、一年生の時に全員行かないといけない部活動見学なるものに行ってきた。 野球が面白かった。

新鮮なものは面白い。すぐに入部した。

野球部の最後はキャプテンを務めて、良くも悪くも、何事もなく終わった。

恋愛もまだまだ幼稚で、一緒にいるだけで楽しかったとはいえ、彼女の手も握ったことないまま11ヶ月も経過させた。 友達みたい、と振られた。当たり前(笑) なんやったら振るのが少し遅いと思うくらい。

そして、受験。 高校3年くらいから勉強に力を入れて取り組んだ。 高校受験のようになんとかなると思い込んでいた。 落ちた。

完全に舐めていたし、まだ舐め続けていた。

一浪で頑張ればええわって。

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浪人

バイトを続けながら受験勉強をしていた。

6月くらいに彼女を作る。 ただ、これが原因で落ちるとか絶対に嫌やったから、きっっっっっちり切り分けて、時間のほとんどを勉強に費やした。

8月で志望大学の合格点を叩いた。 もういけたと思った。

9月以降の記憶がマジで今もない。 次にあるのは、12月。 その時には、体力もかなりなくなっていたし、昼夜も逆転しきっていた。

センター試験まであと1ヶ月だという切迫感からハッとしたことを覚えている。

ただ、僕の苦手分野は記憶科目なのだが、日本史が間に合わずセンター試験は失敗。 個別試験も、日本史が足を引っ張りだめだった。

また、全て落ちた。 人生で味わった初めての絶望だった。

誰にどんな顔でなんて報告していいかわからなかった。

そんな時側にいてくれた、当時の彼女のアドバイスから、だめもとでセンター利用だけ出してみたら、拾ってくれたところが一校あったので、そちらに入学することに決まった。