こちらは、金沢裕貴の自己紹介ページです! よろしくお願いいたします!
大阪生まれ大阪育ち
1999年6月19日生まれ
23歳
高卒(大学中退)
4人兄弟の長男で、兄妹は僕以外全員女の子 🙇♂️🙇♀️🙇♀️🙇♀️
日本と韓国のハーフ 🇯🇵×🇰🇷
余談ですが、親父が韓国人で、僕の両親は離婚しているのですが、オカンの再婚相手も韓国人で、僕はこの現象を”狙い撃ち”と呼んでいます。
視力は両目1.5で裸眼
歯医者は行ったことない
けど、原因不明の病にかかることが人生で何度か(あれ何やったんやろ🤔)
飲み会は基本行くし、フットワークは激軽🦶
大体の分野で雑い・粗い・テキトーと思われがちだが、一部こだわりの強い分野あり
モットーは「100点は一生出ない」/ スローガンは「いつも誰かのために」
明るいか暗いかで言うと、明るい。っていうか、うるさい。
人好き。
なんとかなると思ってる分野と極度の心配性の分野が激しい。
趣味:草野球とか飲酒とか
好きな食べ物:卵、鶏肉、魚、っていうか全部。嫌いなものはない。
小学校時代はサードやセカンドで、1,2番を打っていた
高校時代はセカンド(外野)→ショート→キャッチャーで、3番を打っていた
走り幅跳び
4×100R 1走目
体重3380gと大きく生まれた私、金沢。 (この時、誕生日が4日違いで保育器が隣だった男の子とは、のちに高校まで進路を共にすることになる。)
この頃、松坂大輔の活躍もあって、オカンは「大輔」とつけたがったが、親父の方のおばあちゃん(通称ババ)のゴリ押しによって、「裕貴」と名付けられた。
泣き虫で、おしゃぶり離れがなかなかできなかったヘタレ。
全然寝ないやつやったらしく、よく昼夜逆転していたそう。 (今、夜型なのがよく理解できるエピソードだなと。)
ちなみに、写真がツルッツルなのは、七五三前に散髪を試みたオカン失敗に失敗を重ね、たどり着いた場所。 人は皆、”果て”と呼ぶ。
その後、妹も生まれ四人家族となった。
離婚😂
小学校入学と同時に両親が離婚し、家を出て、長屋のような家に住んだのを覚えている。 (ちなみに近所の家の人はク◯リをしていた人がいたそう笑)
2年生の終わり頃から野球を始める。 ここの経験が、ヘタレの自分を大きく変化させたと思っている。
オカン一人だったのもあって、毎日友達の家に帰っていた。 その友達も同じ野球チームに所属していたこともあり、ご家族が野球の練習を毎日してくれていた。
勉強で言うと、まあそれはテキトーで、でもその頃から自信があると胸を張れたのは、国語と図工。
すごく今に通じている気がしている。
クラブチームで野球をするはずだったが、従兄弟がいたことと平日体動かす機会を作りたいこととで、陸上競技部に所属した。
新鮮なものは面白い。すぐにクラブチームをやめた。
そこで出会った先生の教えは、今まで出会った教育者の中で一番血肉となっている部分が多い。
例えば「圧倒的な量からしか質は生まれない」とか「主体変容」とか。
人生のうちの早い段階でこの人と出会えていたことはすごく幸運だと実感している。
これは実際にその人を描いたノンフィクションの漫画
https://japanlaim.com/sports/fs/1042/1042.pdf
結局、陸上競技部でキャプテンを務めたり、生徒会長をしたり、防災プロジェクトに携わりいろんなフォーラムなどで発表したり、時には新聞とかテレビなんかに出ちゃったりして、色々やっていた。
高校受験は大阪府内の公立校を志望し、無事合格したが、後日談によると、僕にその高校を受けさせるかどうか最後まで職員会議で出ていたらしい。 と言うのも、受験を舐めてろくに勉強してなかったし、その結果、前期試験では落ちていた。 後期で受かったからいいものの、あの謎の自信は大学受験でへし折られることとなる。